黄檗山萬福寺ってどんなところ?隠元・売茶翁ゆかりの異国のようなお寺

京都・宇治駅にほど近い場所にある黄檗山萬福寺。訪れた人が皆、普通の寺院とはちょっと違う雰囲気にのまれそうになるという名物スポットと噂されていますが、どんなところなのでしょうか。あのインゲン豆とも関係の深い萬福寺について紹介していきます。

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開祖は隠元隆琦

萬福寺は黄檗宗(おうばくしゅう)の総本山。黄檗宗は日本三禅宗の一つに数えられる禅宗の一派で、日本における開祖は中国から渡ってきた高僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)です。

隠元和尚は1654年に来日。彼が京都・興福寺に入った際には全国の僧や学者たちが教えを乞うために詰めかけ、その総数は数千人に及んだと伝えられています。

隠元和尚の日本滞在は当初3年間の約束でしたが彼を慕う周囲の僧たちが引き留めを画策。時の将軍・徳川家綱をも巻き込んだ末、ついに萬福寺を創建してまで隠元の帰国を阻止することに成功しました。

隠元は中国の文化や知識を日本に伝え、彼の高徳を慕って後水尾法皇を始め多くの皇族、幕府要人、大名、商人たちが帰依しました。彼が孟宗竹、スイカ、レンコンなどとともに中国から持ち込んだ豆は日本でも栽培されるようになり、インゲン豆の名で広まりました。

萬福寺はすべて中国風

萬福寺は現在でも中国式の風習を守り続けている数少ない寺院の一つです。

建造物も中国の建築様式の影響が色濃く、日本の一般的な寺院の建築様式とは異なっています。材料も南方産のチーク材が使われており、アーチ形の天井や円形の窓、「桃符」と呼ばれる桃の形の飾りなど随所に明の様式が見られます。

読経は中国式の発音で行われ、精進料理も普茶料理と呼ばれる中国風のもの。仏像も日本の仏師が手掛けたものは少なく、現在ある仏像のうち27体は創建当時に清国から長崎に来ていた仏師・范道生の作とされています。

また境内には石條(せきじょう)と呼ばれる参道が縦横に敷かれていますが、その中央は正方形の石が菱形に並べられています。これは龍の背の鱗を表しており、位の高い僧でなければ菱形の石の上は歩けないという決まりになっています。

珍しい魚型の開梛

寺内では時を知らせるのに魚梆(ぎょほう)と呼ばれる魚型の木版(開梛・・かいぱん)が使われています。

魚梆は木魚の原型と言われていますが、日本の寺院ではあまり見られません。

布袋尊を祀る寺

萬福寺のご本尊は釈迦牟尼仏像ですが、布袋尊の像を祀っていることでも知られ、毎月8日には「ほていまつり」が行われています。

布袋は中国に実在した契此(かいし)という名の高僧で、七福神の中では唯一の人間。弥勒菩薩の化身とされています。

かわいいおみくじも人気

布袋様をモチーフにした可愛らしい布袋尊みくじが人気です。

また、紅白だるまのおみくじもあります。

売茶翁ゆかりの寺

隠元は煎茶道の祖とされています。煎茶道は形式を重んじる抹茶道とは異なり、急須等で煎茶や玉露などの茶葉を使って淹れたお茶を飲みながら哲学的な談話を交わす嗜みです。

日本における煎茶道の中興の祖としては、萬福寺に縁が深かった売茶翁(ばいさおう)が挙げられます。隠元と売茶翁は時代が異なるため直接の交流はありませんでしたが、隠元の理想とする煎茶道を世に広めたのが売茶翁であったことから、萬福寺境内には売茶翁の木造を祀る売茶堂が建てられています。

売茶翁は江戸時代の天才絵師として知られる伊藤若冲との交流が深かったことでも知られています。

研修施設としての萬福寺

萬福寺には一般向けの研修プログラムがあり、企業や団体の宿泊研修を受け入れています。研修内容は厳しく、食事も質素。研修中は携帯電話等の持ち込みが禁じられ、外部との連絡が一切遮断されます。

まとめ

以上、黄檗山萬福寺についての紹介でした。禅宗寺院の最高峰の一つとして知られる萬福寺は日本にありながら中国の歴史を感じることのできる寺院です。

ゑびす神社、松ヶ崎大黒天、東寺、六波羅蜜寺、赤山禅院、行願寺革堂と併せて都七福神に数えられているので、京都旅行の際にはぜひ訪れてみては?

名称黄檗山萬福寺
住所京都府宇治市五ケ庄芝ノ東6−3
アクセスJR奈良線「黄檗駅」下車 徒歩5分
⇒公式サイト

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